
個人情報を除いた2020年の簿記データ(ソリマチ農業簿記ユーザー:青色申告個人農家16,590人)を統計分析しました。統計基準や用語の解説は「統計分析に使用している用語の説明」をご参照ください。
農家と経営の話をするとき、決算書に基づいて話をしてくれる人は、実はあまり多くありません。個人経営レベルになると、決算書を振り返る人の方が少数派なのではないかとも思うぐらいです。
そのような人たちは、預金通帳の残高で大よその経営の良し悪しを判断しているようです。いわば「現金主義」ですね。
確かに「儲け=キャッシュ(現金・預金)の増加」と考えれば、決算書は数値が多い割には実態を表していないようにも見えます。
しかし通帳残高だけで所得を把握することには大きな問題があります。一つは収益と費用の細目が無いので所得増減の原因が把握できないこと。そしてもう一つは、そもそも事業で増やしたお金なのか、それ以外の原因で増えたお金なのかの区別がつかないことです。
解りやすくいうと、経営が赤字でも借金をすれば預金残高は増えますし、逆に黒字でも自己資金で設備投資をしたり、生活費に回すお金が多かったりすると預金残高は減るということです。
とはいえ、経営をしていくためにはキャッシュの有無は重要ですから、多くの農家か強い関心を向けるのは当然でしょう。
したがって今回は、預金通帳からではなく決算書の数値から、事業でどれだけのキャッシュが増えたか、つまり「現金ベースの所得額」を知る方法を、統計データの数値を使って実態を確認しながら考えていきたいと思います。これができれば所得増減の原因を把握しつつ、事業によって増えたキャッシュの額も解ります。
損益計算書から現金(キャッシュ)ベースの農業所得を求める
まずは、損益計算書の数値だけを使って現金ベースの所得額を求めます。計算は世帯農業所得に非現金費用をプラスして、非現金収入をマイナスします。
非現金費用とは、文字通り現金の支出がない費用で、代表格は減価償却費です。反対の非現金収入とは、家事消費など現金収入がない収益が該当します。棚卸は期首が非現金費用で期末が非現金収入となります。

それでは2021年の青色申告者全体(13,273世帯平均)の数値で、上記の計算をやってみます。
青色全体 | ||
---|---|---|
決算書の世帯農業所得 | 5,762 | |
非現金費用 (プラス) | 減価償却費 | 2,388 |
期首農産物棚卸 | 775 | |
期首農産物以外棚卸 | 916 | |
非現金収入 (マイナス) | 家事消費 | 146 |
期末農産物棚卸 | 807 | |
期末農産物以外棚卸 | 940 | |
育成費用 | 272 | |
現金ベースの農業所得 | 7,676 |
※金額の単位は千円。
この通り、決算書表示の世帯農業所得5,762千円は、キャッシュに直すと7,676千円の増加となりました。この200万円程度の増加は減価償却費の影響が大きく、実際、簡易的に現金ベースの農業所得を算出する際は、減価償却費だけを決算書の世帯農業所得にプラスするといった方法がよくとられます。
貸借対照表の数値はどう扱うか
さらに貸借対象表の科目を使うと、より精度が高まります。事業としてのキャッシュの増減を算出するためには、売掛金の対前年増加額をマイナス、買掛金の対前年増加額をプラスすることになります。
売掛金が増えていれば、その分入金が遅れているので決算書よりキャッシュが少なく、買掛金が増えていればその逆という事です。

なお、貸借対照表ではこの他にキャッシュの増減に影響する科目として借入金があります。また減価償却資産の新規購入などもキャッシュのマイナスに影響します。
しかしこれらの増減はいわば投資活動や財務活動によるものと考えられるので、事業でどのくらいのキャッシュを稼いだかという計算からは除くのが一般的です。
また未収金や未払金、前受金や前払金などは内容や金額に応じて計算に含めてもよいでしょうが、統計からでは内容が把握できず、比較的少額でもあることも予想されるので今回は省略します。
青色全体 | ||
---|---|---|
現金ベースの農業所得(P/Lより) | 7,676 | |
キャッシュプラス | 買掛金増加額 | 40 |
キャッシュマイナス | 売掛金増加額 | 5 |
現金ベースの農業所得(B/S計算後) | 7,711 |
※金額の単位は千円。
以上の通り、決算書上の世帯農業所得5,762千円は、掛金の増減を含めたキャッシュの増加に置き換えると7,711千円という事になりました。つまり1年間農業で増やした現金・預金は平均7,711千円という事です。
ここから借入金の返済や新規投資などを行うので、全てが生活費や貯蓄に回せるものではありませんが、一定の余裕はあると考えて良いのではないでしょうか。
なお、世帯農業所得率が10%未満の世帯(2,365件)のキャッシュは以下の通りとなりました。
10%未満 | |
---|---|
決算書の世帯農業所得 | 433 |
現金ベースの農業所得(P/Lより) | 2,690 |
現金ベースの農業所得(B/S計算後) | 2,612 |
※金額の単位は千円。
所得率が10%未満というのは、経営としては概して厳しいレベルと言えますが、ここでも減価償却費の影響が大きく、最終的なキャッシュは2,612千円となります。
それでも充分とは言えませんが、高齢者などはこの他年金収入などがあるので、何とか生活できる水準なのかもしれません。昔、「うちは減価償却費で食ってンだ」自嘲気味にいっている農家もいましたが、こういう形で生計を維持している農家が一定層いることも留意しておいても良いかもしれません。
現金ベースの農業所得を算出する意味
最期に経営作物分野ごとの事業で生み出したキャッシュの額を掲載します。
畜産などで育成費などが影響している他は、やはり減価償却費がキャッシュの増加に大きく影響していると言えます。
普通作 | 野菜作 | 果樹作 | 酪農 | 肉牛 | 花卉 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
決算書の世帯農業所得 | 4,924 | 6,130 | 5,225 | 8,305 | 5,546 | 5,914 | |
非現金費用 (プラス) | 減価償却費 | 2,817 | 1,873 | 1,064 | 8,505 | 3,927 | 1,414 |
期首農産物棚卸 | 492 | 1,142 | 645 | 421 | 382 | 303 | |
期首農産物以外棚卸 | 136 | 191 | 79 | 696 | 16,418 | 366 | |
非現金収入 (マイナス) | 家事消費 | 206 | 80 | 82 | 822 | 168 | 76 |
期末農産物棚卸 | 483 | 1,217 | 647 | 446 | 355 | 279 | |
期末農産物以外棚卸 | 154 | 197 | 84 | 745 | 16,800 | 385 | |
育成費用 | 6 | 9 | 42 | 4,720 | 1,435 | 24 | |
現金ベースの農業所得(P/Ⅼ) | 7,520 | 7,833 | 6,158 | 11,194 | 7,515 | 7,233 | |
キャッシュプラス | 買掛金増加額 | 60 | 8 | -9 | 212 | 224 | 37 |
キャッシュマイナス | 売掛金増加額 | 5 | 27 | 11 | 85 | -35 | -89 |
現金ベースの農業所得(B/S) | 7,575 | 7,814 | 6,138 | 11,321 | 7,774 | 7,359 |
※金額の単位は千円。
以上のとおり、この現金ベースの農業所得は実際のキャッシュの増加額に非常に近い値なので、今後必要な生活費を見積ると、必要な現金ベースの農業所得も分かることになります。そこから今までの計算の逆をやれば、決算書上での目標とする所得金額を算出することができます。
つまり、現金ベースの農業所得は、実生活の計画と農業の事業計画の両者をしっかり結び付ける役割があり、個人事業主がライフプラン等を加味した長期的な経営計画などを立てる場合には、不可欠なものとなります。
以上の通り現金ベースの農業所得は、実生活により密接な数値なので、皆さんも一度計算してみてはいかがでしょうか。
南石教授のコメント
税務申告等で使用される「所得」とは異なり、日常で「所得」という言葉は人によって違った意味で使われることがあります。今回の分析では、多くの農家の日常感覚に近い「所得」を推計しようとしています。
株式上場しているような大きな会社では、会社の財務状況を把握するために貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書が主要な財務諸表と言われていますが、今回の分析はこうした考えを取り入れて、お金の流れ(キャッシュフロー)から農業所得を把握しています。
結果的には農家が日常的に意識する「所得」は、損益計算書での「所得」よりも多い傾向がみられます。
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