
持続可能な農業インタビュー「株式会社柏染谷農場(染谷茂さん)」
近年、「持続可能な社会」、「SDGs(エス・ディー・ジーズ)」という言葉をよく聞くようになりました。そこで農業利益創造研究所でも、「持続可能な農業」の実践者へのインタビューを行っていきたいと考えています。
今回は千葉県柏市で水稲や麦・大豆、ブルーベリー栽培を手掛け、直売所やレストランの立ち上げにも関わってきた株式会社柏染谷農場の染谷茂さんにお話をお伺いしました。
就農当時から比べてほ場は100倍に!
都心から30キロ、つくばエクスプレスの開線によってますます栄える千葉県柏市は、日本最大級の河川である利根川の雄大な流れに沿って、田園地帯としても知られています。染谷さんは就農して48年になるベテラン農家で、柏の地から日本農業を支え続けてきました。
染谷さんが経営する株式会社柏染谷農場は従業員10名を抱える農業法人で、米150ha、小麦40ha、大豆22ha、ブルーベリー40aを栽培している大規模農家です。しかし、最初から順風満帆だったわけではなく、苦労の連続だったそうです。
「高校を卒業して農家になったけれど、若い人はみんな就職してしまって、減反政策も始まり、もう米を作る時代じゃないと感じて自分も就職したんです。けれど、だんだん農業をまたやりたいという思いが強くなってきた。やれることをやって悔いのない人生を送ろう、そう決心して農家に戻りました」

最初は1.5haの農地から始まって、外食もめったにできないほど貧しかったと語る染谷さん。現在手掛ける水田は150haですから、なんと就農当時の100倍に増えた計算になります。作業請負で丁寧な作業を心掛けるうち、近隣の兼業農家の方から「田んぼを借りてほしい」という依頼が来るようになり、少しずつ規模を拡大していきました。
また、平成16年にはゴルフ場の予定地として放置されていた土地108haを農地として復元する、という事業に取りかかりました。市が農業法人を作って土地を借り受けましたが、実際の作業は染谷さんに任されました。
国から十分な予算がもらえなかったので、自分たちで作業を行うしかなく、荒れ放題な土地の中からゴミが出てきたりと、非常に苦労したそうです。補助金も下りなかったので、最終的には借金で費用を捻出しました。
そんな染谷さんの尽力で、荒れ果てた土地は農地として見事によみがえりました。「利益になると考えて、取り組んだわけではありません。実際に儲かってはいないんですよ(笑)。ただほったらかしの土地を復活させられたことが嬉しい」と染谷さんは笑顔で語っていました。
スマート農業に注力して効率化
柏染谷農場は大規模農業法人で従業員も多数在籍しています。大規模経営ですからさらなる生産効率化のために、スマート農業にも力を入れています。 たとえば、ドローンで確認した生育条件をデータ化して、そのデータを追肥に使うラジコンヘリに送り、生育状態が悪いところを重点的に追肥しているそうです。
他にもGPSを使って自動運転する田植機やトラクターを使用しています。GPSを使用すると直進運転が簡単に実行できるため、後ろを見ながら苗を補充するなどの作業ができますし、大豆の播種後、畝がまっすぐなので土寄せも容易で、さまざまな点で効率化に繋がるそうです。

ですが、スマート農業に対して「余計に手間やコストがかかる機械もあるから、見極めは慎重にしている」と染谷さんは冷静な判断を下していました。また、栽培技術の習得や経験という面でも懸念があるそうです。
「良いお米を作るには、田んぼや土を知って、稲を知らなくてはいけない。それには何年もかかります。「稲は人の足音を聞いて育つ」という言葉がありますが、やはり足を運んで自分の目で見極めるのが大切です。若い人が初めから機械を使っていると、自分の目を使うことがなく、失われる経験もあるかもしれない。そこが難しいところですね」
もっとも、染谷さんはスマート農業自体に否定的なわけではありません。大規模化と効率化のためには欠かせないものですから、メリットデメリットを見極めた上で、取捨選択を心掛けている印象でした。
農業体験の場を提供する「米クラブ」
染谷さんは農業の周辺事業にも積極的です。米クラブという米づくり体験クラブにも協力していて、今年で23年目になります。会員の方々が田植え、草取り、稲刈りまで行い、収穫したお米を分配します。発起人は吉野信次さんという方で、1994年の冷害による米不足で生産者の方とのコミュニケーションが大切だと痛感し、「自分たちでお米を作ろう」と呼び掛けて有志を集めたのが発足のきっかけです。

「作物は輸入すればいいんだ、工業に力を入れるべきという農業不要論が政治でも出てきて、その頃は田んぼにゴミを捨てる人も多かった。みんな農業を大切にしていない、そうモヤモヤしていたところに吉野さんから米クラブのご依頼をいただいたんです。田植えを経験すれば、きっとみんな農業の大切さに気付く、そう思いました」
田んぼにゴミを捨てる方が多いとは悲しい話ですが、決してネガティブにならず現状を変えようと取り組んだ染谷さんは素晴らしい方です。米クラブの参加者は子供たちも多く、収穫祭で餅つきを行ったりと毎年盛り上がっているそうです。
地元の農家たちでレストラン・直売所を立ち上げ!
染谷さんは他にも「かしわで」という直売所や「さんち家」というレストランの立ち上げに関わっています。
「かしわで」の誕生は、外国産の安いネギが大量に輸入されて、柏に多いネギ農家が苦境に立たされたことが直接のきっかけです。「どうしたら、この柏で農業を続けられるか?」を考えるために集まった農家さんから、「ここは都心で一大消費地なんだから、地の利を生かそう。消費者に直接野菜を届ければいい」という意見が出たのです。
そうして農家15人で「有限会社アグリプラス」を立ち上げ、平成16年6月に直売所「かしわで」を開きました。オープンして3年間は赤字でしたが、口コミでお客様も増えて、5年後の平成21年6月に来客数200万人を突破する人気店へと成長しました。

しかし、東日本大震災が起こって、原発事故の風評被害に悩まされることとなりました。ここでも染谷さんたちは前向きな気持ちを忘れず、柏の農作物を美味しく食べてもらうための新しいアプローチを考えました。
もともと生産者の奥さんたちとパートさんたちで作られたハッピーテーブルクラブというグループがあり、柏の美味しい野菜を使ったレシピを広める活動をしていました。この料理で野菜の美味しさを知ってもらいたい、その発想からビュッフェレストラン「さんち家」が生まれたのです。
「実はスタッフの中に帝国ホテルの元料理長がいたんですよ。柏に住んでいて定年になり、何か手伝いたいと声をかけられて。風評対策やレストランの立ち上げにはだいぶ貢献してもらいましたね」
幸運なめぐりあわせですが、染谷さんがこうもおっしゃっていました。「もちろんその方の力も大きいですが、さんち家はパートさんの力に支えられています。彼女たちがいなかったら無理でしたよ」
「さんち家」は野菜の美味しさを知ってもらうのがコンセプトのため、肉や魚は使っていません。そのヘルシーな料理は大評判で、人気レストランとなりました。しかし、そこでコロナ禍が起こってしまったのです。さんち家はビュッフェ形式だったため、徹底した感染対策が必要となり、4か月間も店を閉めていたそうです。
それでも、皆でお惣菜を作って販売するなど、工夫を凝らして危機を乗り越えました。幸い、今は営業を再開しており、客足も徐々に戻りつつあるそうです。
七転び八起きの精神で突き進む
ほ場の拡大、農業法人化、稲作体験への協力、ゴルフ場の農地転換化、直売所やレストランの立ち上げと八面六臂の活躍を見せる染谷さんですが、自らの活動を振り返って、「苦労の連続で、大して成功していないんですよ」と謙遜していました。
染谷さんは常にポジティブな精神を忘れず、困難にもくじけず仲間と共に道を切り開いてきた印象です。そんな染谷さんを支えるのは、それは昔から抱き続けている日本の農業を守りたいという強い思いでした。

「ウクライナ危機でみんな気づき始めたはずです、なんでもお金で解決できるわけじゃないと。食べ物を買いたくても買えない、そういう状況は起こります。だから、農地は決して粗末にしてはいけないし、食料自給率を上げていく必要があるのです」
日本の食料自給率の問題は、残念ながら現在も解決をみているとはいえません。現状で38%(令和元年度)と先進国の中では非常に低く、ウクライナ危機によってその問題の緊急性は増してきています。
農業の大切さに気づいてもらいたい。そう願う染谷さんは美味しいお米や野菜を食べてもらう場所を作ったり、農業体験の場を提供したりしてきましたが、決して順調ではなく困難が襲い掛かるたびに乗り越えて、時代の変化とともに進化し成長してきました。その想いの根っこには日本の国の食糧を守るという熱い気持ちがあるからなのだと思います。
農業の課題を自分事としてとらえ、周りの方と協力して進んできた染谷さんの想いは、決して柏だけではなく、日本全体の農業を良くしていくパワーを秘めているのではないか。そう感じさせられる印象深いインタビューでした。
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